藪の中 – 芥川龍之介

やつた 今回からはじまったこのブログなんですが……。

おおみ はい! 

やつた 二人で、共通の趣味である読書に関連して、何かやろうという話になりまして。

おおみ 二人とも、飲みに行くと本の話ばっかりしてますもんね。

やつた そうそう。一軒目で盛り上がって酔っぱらった状態で、夜営業してるジュンク堂とか行きますしね。それで新しい本買って、抱えたまま二軒目に行くという……。

おおみ まあ、それらの本はたいがい積読になるわけですけど。積読には積読としての価値があるんだってクダを巻きながら(笑)。やつたさん、今日はしらふですか。

やつた しらふですよ! 冒頭から吞んべぇのイメージつけようとするのやめてください(笑)。

おおみ で、まあ、私は、好きな作家を挙げるのは裸になるよりも恥ずかしいタイプなんですが、皆川博子や山尾悠子なんかが好きなんです。……キャッ。

やつた 幻想文学のイメージですね。……そんなに恥ずかしがらなくても。

おおみ だって、好きな作家挙げるのって、自分の皮膚より内側の内臓をさらけ出しているみたいで、恥ずかしくないですか……? しかも、これ、ネットにあげるんですよ。めちゃくちゃ照れるじゃないですか。

やつた ……大丈夫ですよ、この部分はスルーされがちなところです、たぶん。

おおみ えぇっそんなこと言わないで! 内臓までひろげたんだからもっと構って!

やつた 恥ずかしがり屋と構ってちゃんは表裏一体、と……。僕は宮沢賢治、太宰治なんかが好きで。でも純文学にも興味があって、色々読むんです。近年の芥川賞受賞作や、往年の有名作とか。

おおみ (内臓を三つ折りでしまい込むモーションをしながら)うーん、私は、有名文学作品は昔ひと通り読んだはずなのに、大学受験終えた解放感ですべてすっかり忘れてしまった(笑)。今となっては読むの限られちゃってる気がして。

やつた 何年前の話ですか。あとそれ、内臓畳んでましたね。

おおみ それも忘れました! ……拾って頂けてよかったです。

やつた まあとにかく、そこで第一回目の今回は二人の好みの間を取りました(笑)。芥川龍之介の『藪の中』です。

おおみ 久しぶりに読みましたね。

やつた 僕も、以前に読んだのは、もう二十年ほど前だった気がしますね。

おおみ 『藪の中』くらいの名作だと、ネタバレに対する配慮の心配も必要ないですしね! ……たぶん。

やつた ……たぶん。まぁもしこのブログを読んでいただいて、興味がわいたら、改めて読んでいただいてもいいかと。有名な作品なので、読んだことある人も多いと思うし。

おおみ 青空文庫で無料ですぐに読めちゃいます。短いしね。私は、『藪の中』を初めて英語で読んだときは二時間くらいかけましたが。薄いから練習にちょうどいいかと思ったら、当時のわたしの英語力ではそうでもなかった。ロンドンのおしゃれなカフェで茶をしばきつつ、辞書を片手に、薄いペンギンブックス(イギリスの有名な出版社。ペンギンマークがかわいい)。かっこつけてるんだかつけてないんだか。

やつた おおみさんのスタンスはともかく、はたから見れば、少なくともかっこ「つけられて」はないですね。僕は高校の授業中に文庫本で読んだなぁ。先生に見つかって注意されましたね、懐かしい。

おおみ 授業聞きなよ……。

やつた で、早速あらすじ紹介なんですが。

おおみ 山科の藪の中から侍の死体が見つかって、検非違使が関係者から話を聴取するけど、最重要人たちの証言がことごとく食い違っている、その証言集、ですよね。

やつた だいぶざっくりまとめましたね。平安時代の都の周辺が舞台ですね。現場の山科だけ具体的……。おおみさん、山科に何か思い入れが?

おおみ 含意も思い入れも恨みもないです(笑)。

やつた それで、この小説自体は関係者たちからの証言だけで構成されていて、読者はそれらを読み進めていくことで、事件の全体像に触れていくわけです。

おおみ 殺されていた夫の武弘の妻である真砂、盗人の多襄丸、多襄丸を捕まえた放免、さらには武弘の巫女の口を借りての証言など、それぞれの証言が食い違うから、真相がわからなくなる。まさに真相は「藪の中」ということですね。

やつた おおみさんは、久しぶりに読んでみてどうでしたか?

おおみ そうですねえ。私は、たぶん作者は、読者が自由に想像できるような余韻を残したかったんじゃないかな、と思ったんです。

やつた なるほど。それぞれの証言の食い違いが、余韻ということなのかな?

おおみ 真相を読者に丸投げしているというか。ただ、それだけだとこのブログがつまんなくなっちゃうので、今回私はちゃんと犯人推理もしました。

やつた 僕は、真相よりも強く考えたのは、「あ~、こういう状況ってあるよね~」と思って。

おおみ でもでもたぶん、『藪の中』についてのブログ読もうとする人の大半は、他の人の考える真相を知りたいと思っていると思いますよ。

やつた そうですかね。

おおみ だって私、初めて『藪の中』を読んだとき、ネットで調べましたもん。真犯人。

やつた ロンドンで?

おおみ いや最初は日本語なので、日本で。

やつた よかった、僕は日本語でしか読んだことない(笑)。僕は、真相は確かに気になるところではあるけど、真相を導き出す推理小説ではないなと思って読んでたなぁ。芥川が読者に謎解きを提示するかしら、とも思ったし。まぁ初めて読んだ当時は「こういう小説なんだな」程度しか考えられなくて、具体的なことは思いつかなかったけど。

おおみ 単純に真犯人当てしてる私は、芥川にのせられている、と……。

やつた そこまでは言ってない(笑)。

おおみ 私、性格が素直なので。

やつた それも言ってませんね……。でも、日常生活でもよくあるじゃないですか、真相にたどりつかないといけないのに、それぞれの関係者が好き勝手に自分の都合のいいことを言って、一向に真相にたどりつかない、みたいな。

おおみ 日常生活に、そんな深く真相を追及するシーンってありましたっけ。

やつた 例えばサラリーマン生活で、クレームが入ったのに、社内での責任の所在が錯綜して、結果的に先方への謝罪が遅れる、みたいな(笑)。一つの事件に対して、次々に証言が出てくるという流れに、こういったことと似た印象を受けましたね。

おおみ すごくわかりやすいけど、聞きたくない話だなあ(笑)。

やつた 物事が何も前に進んでいないのに、話だけ情報が増えていく、そんな経験から、芥川は着想を得たのかなとも想像しました。

おおみ なるほどなぁ。「会社員芥川龍之介」は考えたことがなかったですね。目から鱗ならぬコンタクトレンズ。

やつた それを言うなら、今回は「検非違使芥川龍之介」ですかね。僕が言うような「関係者が好き勝手に自分の都合のいいことを言って、一向に真相にたどりつかない」というシーンから、芥川が着想を得たのなら。ひたすら話を聞いて、内容を確認しっぱなし。

おおみ じゃあコンタクトレンズいったん戻して、慣用句にならってもう一回鱗飛ばしときます。

やつた 飛ばさなくていいです。ほら鱗も戻して。

おおみ 戻された!

やつた それで、探偵おおみの推理はどんなものですか?

おおみ 一番話の流れがつながりやすいストーリーとしてはですね。多襄丸が真砂を辱めるという出来事については、死霊の告白に一番真実味があると思うんです。

やつた つまり、殺されていた夫が、真相を語っていると?

おおみ そうです。というか、夫である死霊の証言は、ほぼほぼ正しいと感じました。

やつた その理由は?

おおみ 勘!

やつた ……推理じゃないじゃん。

おおみ だって、わざわざ巫女の口を借りてまで、死んだ人が嘘をつかないでしょう。もう死んでるんだから。で、多襄丸は、(おそらく検非違使から)事件の真相を問われて、とっさに嘘を証言、白状したと考えています。小説時系列が逆行してしまって恐縮ですが、文脈的に、多襄丸が放免に捕らえられたタイミング、白状よりも前の段階では、放免も多襄丸も、夫の武弘が死んだことを知らなかったんじゃないかな。多襄丸さん、どうも、昔の殺人(鳥部寺の後ろの山での殺人)については、自分から放免にぺらぺらっと言ってるっぽいんですよね。だから今回も、もし本当に多襄丸が夫を殺していたとするなら、放免に捕まったタイミングで吐いていたと思います。それにそれに、多襄丸の白状の冒頭にある「知らない事は申されますまい」とか、もう口先から生まれてきた奴が噓つくときに言うやつ!(笑)

やつた 僕は口先から生まれてないから、よくわかりませんが、そうなの?

おおみ いや、私もよくわかりませんけどぉ……(しどろもどろ)。

やつた それはさておき、多襄丸は捕まって嘘の白状をしたんですよね? なぜそんなことを?

おおみ そこですよ! でもその前に妻の真砂の証言ね。

やつた いかにも事件の真相に迫ってる感じの進行……。

おおみ 死霊の物語では「真砂は夫の武弘を残して逃げて、小刀だけが夫武弘の前に残されていた、そして夫武弘は自害した」とあります。でも「小刀は遺体発見時にはなかった」と木樵りが序盤に語っていて、さらに、夫武弘の死霊も「誰かが胸の小刀を抜いた」というようなことを言っていますね。……誰が凶器を持ち去ったのか?

やつた メガネに蝶ネクタイの少年探偵が考えてるっぽい!

おおみ ……バタン!

やつた なんですか、それ。

おおみ え、CM終わってから両開きの扉が開く、例の音。

やつた そろそろ、迷探偵おおみが眠らされますね。

おおみ じゃあ、あとはやつたさんが全部……。

やつた 僕は声を変えられないので、そのままおおみさんが続けてください。

おおみ 漫談だから声関係ないのに……。まあ、結論から言えば、私は、小刀は妻の真砂が持ち去ったんだと思っています。清水寺で、妻真砂が「私小刀で喉突いたんだけど死ねなかったんですよほらぁ」って言ってましたよね。

やつた そんな言い方はしてませんでしたけどね。

おおみ でもほら、「小刀で突いたんですよ」って実際に言うとき、手元にその小刀がないと、サマにならないでしょ? 「この小刀! これを使ったんです! なのに死ねませんでした!」ってやりたいでしょ。

やつた そう言われると、同情を誘うかもしれないけど、なんだか浅ましさも出てきますね。

おおみ その浅ましさもポイントになります。小刀を持ち去ったあとになって妻真砂は、私的にはあんまりおもしろくないんですが、後悔し出して、清水に懺悔をしに行った。何を後悔していたかといえば、死霊の証言にある「『あの人を殺してください』と盗人多襄丸に縋ったこと」です。でも、ここは私的におもしろいんですが、真砂は、後悔はしても自分の不都合は言いたくなかった。だから、「心中しようとしたけど夫しか殺せなかった、自分は死ねなかった」と清水寺で嘘の、いじらしい懺悔をしたんです。ここで、小刀を持っているのと持っていないのでは、この嘘に対する信憑性が変わってくる。小刀が映える。

やつた 小刀を持っていることで、真砂にとって都合がいいように、話が運ぶことを目論んだと。

おおみ この真砂という女、そこまで考えて嘘ついてると思います。

やつた 同性同士の勘ですね。

おおみ そう、勘! そういうずる賢い女が生き残って、夫は死んで、多襄丸は捕まってしまうんです。

やつた 芥川らしい展開かもしれないですね。

おおみ 頭の回転の速い多襄丸は、男武弘が死んだことやその時の状況を(たぶん検非違使から)耳にした瞬間、およその見当がついたのだと思います。おそらく男のほうが自害したのか女に殺されたかして、その後、女は自分の夫を見捨てて逃げたのだと。それで、多襄丸は、今までさんざん人を殺してきているくせに、ふと、「自分は殺していないのに、自分のせいで死ぬ羽目になってしまった男」に同情して、かっこいい死にざまを装ってやったんですよ、きっと。

やつた なんだか、一気に耽美な話になりましたね。

おおみ たぶん多襄丸は、自分が殺した人間に対しては情はもたないけど、自分が関わってしまって他人に殺された者に対しては、同情心が厚い。……どうですか、なかなか正回答に近い自信があります!

やつた おおみさん、ちゃんと起きてます? 寝てないですよね? 後ろには誰もいないですよね?

おおみ 起きてます、後ろに小さくなっても頭脳は大人な人なんかいません!

やつた まぁ証拠もないから解決しないのは、漫画とは違いますね。真実はいつも一つ、と言いたいところだけど、この作品においてはまさに真相は「藪の中」ですね(笑)

おおみ やつたさんは、真相考えないんですか?

やつた あんまり考えなかったなぁ。それよりも、表現したいことってなんだろうって考えてたな。

おおみ 作品の構造についてですね。

やつた そもそも、真犯人を導き出すような書き方をしていないですよね。まぁ、直接書かれていない部分は、迷探偵おおみの推理みたいに補完すればいいのだけれども。

おおみ 補完と言うか、こっちで勝手に考えているだけですよ。やっぱり読者に丸投げ方式。

やつた 読者に丸投げ方式、というのは、それはそうだと思うんです。“登場人物たちの”作品内に書かれていない心情や背景を想像するのも読者の自由。そして、“作者の”意図や思想に迫っていくことも、この自由さがあるからこそ考えの幅が広がるんだと思うんです。

おおみ さっき言った「関係者が好き勝手に自分の都合のいいことを言って、一向に真相にたどりつかない」っていうことが“作者の”意図ということ?

やつた それはあくまでも、表層だと思う。現代のサラリーマンに置き換えたら、その見方は刺さる部分かもとは思うけど。でもさらに単純に、そして本質的な部分を考えてみると、各々の証言が「真実はいつも一つ!」になってないということが一番大事な気がしてきて。

おおみ 言ってることが、わかるような、わからないような……。

やつた 本当のことは誰も知らないんですよね。妻真砂も多襄丸も、真相を見届けたわけではないみたいだし。だから余計に自分の都合がいいようにだとか、理想の姿の証言をしてしまうのだと。それってある意味では、それぞれにとっては「本当のこと」あるいは「本当にしたいこと」なんだろうなって思うんです。だから、夫武弘の証言を語る死霊の言葉も、真相かと言われると僕はちょっと違う気がするな。

おおみ 死霊の言葉も、武弘の「本当にしたいこと」なんじゃないかってことですね。

やつた 余談かもしれないですが、芥川は自ら死を選んでその生涯を終えます。芥川は遺書を残しているんです。そこには「ただぼんやりとした不安」と一文だけ記載されていた。これって僕は芥川が感じていた「世の中全体の“真実”の欠如」だと思うんです。この作品で言うと、真相はわからないけど、それぞれにとっての「本当にしたいこと」や「本当と思っていること」なんかはあって、それで出来事がとりあえずでも構成されてるってことに、芥川の皮肉っぽさを感じますね。「本当にしたいこと」とかその人にとっての「本当」だけで、作品が構成されてるから、勘違いや嘘も入ってきて、読者の推理する余地が生まれる。

おおみ やはり、私が芥川に踊らされていると……。

やつた 踊らされているんじゃなくて、それも一興ですよということです。

おおみ 評論家やつたさんの意見。踊らされてる私を、脇息を傍らに眺めて「ははっくるしゅうない」とか言ってきそう。

やつた そんなこと言わないから存分に踊って頂いていいんですよ……?

おおみ え、今ここで、物理的に?

やつた お好きな方で。

おおみ 踊りませんよ。

やつた また脱線した……。とにかくですね、登場人物たちの証言は“真実”ではないと思うんです。それぞれの主観的な証言にある「本当」を参考にする限り、事件の客観的な“真実”にはたどり着くことはないんじゃないか。登場人物たちのひとり語りという、主観的な「本当」の言葉だけでは、我々が知りたい事件の“真実”は描けない。この作品でされていることは“真実”まで読者を導くことではなくて、ただそれぞれにとっての「本当」を提示することなんだろうなと思う。だから、読者それぞれに“真実”を考えることができるし、なんならそれらは事件の推理から逸脱しても構わないんじゃないかな。

おおみ 芥川の遺書の「ただぼんやりとした不安」も今となってはわからないけど、その主観的な「本当」では、客観的な“真実”にはたどり着けない。勘違いや嘘も入ってくるから。そうなると何を頼りにしたらいいか、わからなくなりますね。

やつた もし『藪の中』にある、事件の真相を考えるにしても、芥川の考えを読み解くにしても、それぞれの主観的な言葉を頼りにするしかないんです。この作品においてはね。

おおみ まあ、メインキャストである妻真砂・多襄丸・夫武弘の三人以外の証言も、嘘か本当かわからないですもんね。客観的な“真実”だという保証はない。

やつた そうそう。疑いだしたら、他の証言にも捜査のメスを入れざるを得ない。木樵や旅法師や媼といった事件の中心人物以外の証言も疑いたくなる。これらも主観的な「本当」ですから。

おおみ 映画『羅生門』ですね。たしか、映画『羅生門』は、ストーリーは『藪の中』で、旅法師や媼を含む証言者全員が嘘をついていたんでした。

やつた 事件に関係なさそうなヤツが、実は犯人だったとか。殺人については、妻真砂・多襄丸・夫武弘の間で起こったことなんだろうけど。作品自体には書かれていないことを、読者に想像、推理させるように書いているのは、おおみさんの言う、読者に対しての余韻ですよね。読者が少ない情報で推理して、想像して、作品世界を勝手に広げていく。

おおみ その作品世界が広がるからこそ、読者それぞれが考えた客観的な“真実”が生まれるんですよね。私の場合の“真実”みたいな。

やつた おおみの場合の“真実”もあると同時に、登場人物たちの言葉によって他の誰かの“真実”も生まれている。誰かが言葉で語る限り、“唯一無二の真実”なんか存在しないんじゃないか、っていうのが「真相」なのかもしれないね。

おおみ お、なんかそれっぽい言葉が出ましたよ! それではやつたさん、今回の三文をお願い致します。

みんな好き勝手言うんです。
判断するのは自分だけなんです。
つーか名探偵なんていない!

(迷探偵はいるかも!)