コンビニ人間 – 村田沙耶香

おおみ 最近、リンガーハットが好きなんですよ。

やつた そうですよね。おおみさん、好きですよね。

おおみ はっ、バレてましたか。

やつた いや、ブログ打ち合わせのあと、毎回リンガーハットに誘われてますし……。

おおみ 期間限定メニューがすごく私の好みだったんですけど、終わってしまって……。

やつた でもレギュラーメニューも好きなんでしょう?

おおみ 好きです! 外食チェーンの割に薄味で野菜もたくさん取れて、安くて、ヘルシー!

やつた 自宅の近所にはないんですか?

おおみ ないんですよ、それが。だからやつたさんと会うのにかこつけて、リンガーハットに行くようにしています。リンガーハット、コンビニみたいにたくさんあったらいいのにねえ。

やつた それは多すぎでは……。僕は最近、仕事終わるのが遅くて、コンビニで夕食買うことが増えましたね。

おおみ それはそれは。お疲れ様です。

やつた 自宅のすぐ近くにコンビニがあるんで、ついそこで、カップ麺とか総菜を買ってしまって。

おおみ でもそれって、長く続くと飽きませんか?

やつた そう。色々買ってみるものの、さすがに毎日それが続くと飽きてくるんですよね。でも遅い時間だとコンビニしか開いてないし。

おおみ そうやって、コンビニに寄って帰るのが一日のルーティーンになる、と。

やつた どこで晩飯食べようかなぁ、と考えるのが面倒になったら危ないと思ってます。

おおみ 今は? 夕食考えるの面倒くさい?

やつた ……ちょっとだけ。

おおみ では、近くにリンガーハットっていうおすすめのお店を知っているんですけど、この後ご一緒にどうですか?

やつた さて、気を取り直して進めましょう。今回は村田沙耶香『コンビニ人間』です。

おおみ 今回は、やつたさんが選んでくれました。

やつた 以前から、芥川賞受賞作を取り上げたいと思っていたんです。この作品はそんなに長くないし、描いているものにも個人的に興味がありました。

おおみ おっ、では尋ねますが、どんなことが描かれているのでしょうか?

やつた まずはあらすじです。主人公は、コンビニバイト歴18年、彼氏なしの36歳の女性です。そんな生活を続けているから、家族や友人から、結婚の話や仕事のことについての追及を受けることが増えてきました。しかし主人公は、コンビニ店員であることに安らぎを見出していて、周りの声には耳を貸しません。そんな時、婚活目的で新人バイトとして白羽という男性がやって来て……主人公の生活に変化が起きます。

おおみ サクッと数時間で読めました。ポップな文体で読みやすい。なんというか、こういう人も存在するのだよ、ということを、純文学の小説から考えさせられるようになったのだなあ、という気持ちですね。謎にしか興味のない偏屈探偵、みたいなキャラクターって、ミステリー作品には昔からいたけど。そういう意味では、コンビニ人間は、時代が現代だからありうるお話になってておもしろかったです。

やつた 僕はまぁ、ちょっとキャラクターの役割が明確すぎる気もしましたが、描かれているものはすごく好きですね。

おおみ 妹を含む主人公の周囲の人々が、けっこう鈍いんですよね。そして、主人公の、周囲からの追及の躱しかたも、なんか下手っぴなんですよ。そのズレに、読者という外野だけが気づいてやきもきする、その感覚を楽しむ小説だと思います。出だしは「主人公がまともで、白羽青年は気持ち悪い人」だったのが、ゆっくり変容して、最後にはすっかり逆転しています。うまい。

やつた かなりデフォルメされた「こうあるべき」な「世間体」を家族や友人から発言させておくことで、主人公や白羽青年の内面にある考えが、より強調されている気がしますね。

おおみ でも、多かれ少なかれ、その「世間体」に添えない部分って誰にでもありますけどねー。

やつた おおみさんは、「世間体」とのズレが大きめのタイプでしょう。僕は小さめです。

おおみ 自分で言うか!

やつた あえて「そういう風に」言ってみました。いやまあ、それも、何と比べてるんだって話です。平均値データはどこから取ってきたんだ、ってね。

おおみ そうですねえ。

やつた 昨今は、多様性の時代だとか、個人の時代だとかよく耳にしますが、やっぱりこの社会生活にこびりついた「世間体」というものは、まだまだ我々の中に残っているんです。しかし近年では、大体のみんなが持っているこの「世間体」というものは、決して目指すべきものとしては認識されていないように思います。公務員だから安泰だとは、あまり聞かなくなりましたし、独立を支援する広告もあるくらいです。

おおみ だからこそ、2016年の日本、今よりももっとこう、「多様性」という言葉が声高に叫ばれはじめた時代、人々が「多様性ってなんじゃらほい」って言いはじめた時代に、『コンビニ人間』はウケた。「こうあるべき」を決めつける人間の思考とは、とか、「こうあるべき」から外れた人間の思考とは、とか。私も当時に一度読んでいるのですが、明文化されるとはこういうことか、という感覚がありましたね。

やつた 作中の登場人物はみんなそれぞれ、多かれ少なかれ、それが正しかろうとズレていようと、ぼんやりと横たわっているらしい「世間体」を、その人なりに意識していると思うんです。

おおみ 主人公も、白羽青年も?

やつた たぶん、アプローチの違い。主人公は、コンビニ店員であることしか術を知らないし、マニュアルが明確にあって楽だから、続けている。コンビニ店員である以上は多少なりとも「世間体」は保たれているし、今まではそれで周囲からの追及を躱せていた。

おおみ まあ、その「世間体」というものが存在していることも、妹などの家族に指摘されて気づいた、という経緯でしたが。

やつた 主人公は、幼い頃から世間一般からズレた感覚を持っていましたよね。小鳥の死骸を見つけて、焼き鳥を連想して食べようと言い出したり。喧嘩している男子を止めるために、二人をスコップで殴ったり、ヒステリーを起こした先生を黙らせるために、スカートをずらしたり。

おおみ 短絡的というわけではないけど、あまりにも最短ルートですよね。ある意味スカッとしますが。

やつた 主人公の問題は「世間体」と足並みを合わせられないことなんですよね。だからマニュアル通りやることで、足並みを合わせられる。

おおみ 「世間体」と足並みを合わせられないことが問題というか、足並みを合わせられないことによって引き起こされてしまう周囲からの追及とか、両親の反応が面倒という感じですね。

やつた 一方で白羽青年の場合は、「世間体」から逸脱しているけれども、それはそれで認めてほしいという意識があります。

おおみ 白羽青年は、自分が「世間体」からズレていることの自覚は、主人公よりもしっかりありました。

やつた 一度、「世間体」から完全に逸脱してしまうと、再びその輪に入ることは難しくなります。すごく労力がいる。その労力を考えたら、「世間体」からズレているというスタンスを取り続けた方が、白羽青年としては楽でしょう。でも、常に「世間体」と比較され続けるから、白羽青年としては「縄文時代から変わっていない」という話や「ビジネスを考えている」という話をする。「世間体」に対して別の立場をちゃんと取っているんですよ、というアピールをしている、と。

おおみ それもそれで、なかなかの労力ですよね。

やつた 世間に対して、気を遣うのか、反骨を装うのか、いずれにしても大変なんですよね。

おおみ 前者は主人公で、後者が白羽さん。各々の方向性は異なりますが、「世間体」、というか世間の基準から外れた二人として、共感するところがあったのでしょうね。だから物語が進んだ。

やつた 物語が進むにつれて、主人公にとっての「生きやすさ」も明確になっていきますね。コンビニ店員として生きてきて、コンビニ業務のことを考えてずっと過ごしてきたから、作中後半でコンビニバイトを辞めたときに、生活にリズムがとれなくなってしまう。

おおみ どう時間を使えばいいかわからない、って言ってますよね。

やつた 主人公にとっては、コンビニ店員でいることが「生きやすい」んですよね。

おおみ コンビニ店員として清潔でいるため、体毛を剃っていたくらいですからね。

やつた 生きる意味というほど、大それたものでもないんですが、目的意識が明確なんですよね。雑念が少ないというか。僕も高校生の頃、特に好きでもなかったはずの部活のために早く寝よう、とか考えていたことがありました。なんだか、そういう状況とすごく似ている気がします。

おおみ むしろ私はなかったです……。部活じゃないけど、ずっと続けていた習い事があって、高校生の頃は周囲に反骨しまくっておりました……。小学生低学年の頃は多少、その習い事のために早く寝ようとする、とかやってたかも。このあたりは人それぞれですね。

やつた 反骨しまくっていたころのおおみさんは想像に難くないですが、それはさておき、そうですね。そのことに遅めに気付いた主人公は、物語の最後でやっと、自分にとってコンビニ店員生活が一番「生きやすい」ことに気が付きます。そこに至るまでの主人公の葛藤や疑問は、「生きやすい」ということを中心にしない、「世間体」との間に起こったことだったから、そりゃ解決が一向にできないわけですね。

おおみ 私が考えさせられたこととしては、「世間体」、世間でいうところの「普通」の枠ってなんだろなーってこと。たとえば、私は動物が好きで、猫も好きだけど、「猫とか人間の子供などの小さき生き物はかわいいもの」という無意識の感覚が、脈絡なく押し付けるように描かれている小説は苦手です。もちろん、「猫と幼児を愛してやまない人格のキャラクター」ならいいんです。作者が何も考えていないまま、自身の嗜好だか、世間における「普通」だかを投影させてしまった、というのがあまり好きじゃない。エッセイならなにも気にならないんですけどね。

やつた 世間一般の「普通の人は猫や子供が好き」というイメージですよね。まぁ、それによって読者に共感してもらえたりもするのですし、使い方だと思います。主人公や白羽青年は、その世間一般の「普通」と比べられてしまい、周りから揶揄されたり、口うるさく指摘を受けていますが、もし今流行りの多様性という大義名分で、「普通」と「普通でない」人たちを比べられなくなったら、もやもやするのは、主人公たちではなく、これまで「普通」を支持してきた周りの人々かもしれませんね。

おおみ まあ、個人の感覚から「普通」をなくすのは無理なんですけどね。一人一人にそれぞれの「普通」があって、その人の「普通」からすごくはみ出した人が、別に悪いことはしてなかったとしても、自分に害があったらいらいらしてしまうし、害がありそうだなって予見してしまったらちょっと距離を置こうかってなるし、未来の害の有無も想定できないくらいに自分の「普通」の感覚から外れていたら、不気味に思ったり、「きもーい」みたいな反応になるのは、それこそ普通だよねっていうか、防御反応の一種だと思います。

やつた 一昔前まではこの世間一般の「普通」が基準として機能していたと思うんです。でも、それが現代になってゆらごうとしている気がしますね。ネットの普及によって、色んな情報が一瞬で見られるようになって、その地域やコミュニティだけの「普通」が固定されなくなった。というか、そんな限定された「普通」に傾倒していても、メリットが少なくなった。多様性という言葉は、これに拍車をかけていると思います。

おおみ 全人類の「普通」に寛容になるなんて無理ですしね。まあ、ちょっとアレな現代社会はそういう方向性を目指しているようですが。

やつた そうですね、それは、なんというか、臭いもの=他人に不寛容な自分に蓋をして見ないようにしているだけで、それでは実際に蓋の下の臭いものはなくならない。

おおみ 私は、まったく私見ですけど、臭いもの=他人に不寛容な自分、自分の「普通」をすぐに他人に当てはめて腹立ったり嬉しくなったりする自分、を寛容に受け入れるべきだと思いますね。自分にまず寛容にならないと、他人にも寛容になれないよ。だめな自分も受け入れて、ポジティブにあきらめてこそ、他人にも「まあいいか、あるある」となれる。

やつた ポジティブにあきらめる。

おおみ そうそう。あきらめるってのは決して悪いことではないんです。

やつた あきらめられるのは、世間の「普通」を達観できたからなんじゃないですかね。主人公も、コンビニ店員に戻る、というか真の「コンビニ人間」として生まれ変わる、という結末で物語は終わりますが、それは世間で言われている「普通」の生活と、自分自身の考えは違うということに気がついたからだと思うんです。

おおみ まず、主人公は「世間」に受け入れられる自分をあきらめました。よそはよそ、うちはうち。わたしはわたし、あなたはあなた。

やつた 「世間」の中で生活しないといけない、という考えが誰にでもあると思います。でも、「生きづらさ」はぬぐえない。

おおみ さらに主人公は、「世間」もあきらめます。世間は世間、わたしはわたし。

やつた 多様性って言われても結局は、「世間」の中で生きていくことからは逃げられない。だから、「世間」を達観できる、あきらめられている自分というのがいるだけで「生きづらさ」は少しはましになるかなぁ、と思いますね。

おおみ 世間の荒波とか、社会にもみくちゃにされて、とか言うけれど、それはさすがに自分を押し殺しすぎていますしね。

やつた もちろん、色んな人がいるし、場合によっては自分を押し殺さないといけないこともありますけどね。

おおみ 日々社会からもみくちゃにされがちなやつたさんが言うと説得力がありますね。

やつた  ……。まあ、「世間」に沿って生きていかなくてはいけないんだけれども、世間を信用しすぎてもいけない。所詮は自分と同じような人間の集合体なんですから。色んな人が色んなことをしているなぁ、くらいの気持ちでいないとつぶされてしまう。

おおみ 実は他人のことなんか、良かれ悪しかれ、放っておけばいい、ということですね。それが「多様性を認める」ということである、と。

やつた 自分のことも他人のことも、気楽にあきらめて、「多様性認めてるぞー」くらいの軽さでいいんですよね。コンビニは、いろんな商品がごっちゃに置いてあるから、海外の人々からウケている、と言いますしね。

おおみ そうそう。「コンビニしかり、ちゃんぽんだって、具がいっぱい入っているからおいしいのだ!」 ……って、ここでそう言えというやつたさんからの指示がありました。というわけで、ちゃんと従ってあげたし、今日はリンガーハットですよね?

やつた ……どうしても、食べたいんですね。

しょせん、毎日人間っぽく振る舞っているだけなんです

私もやつたさんも、世間の皆さんも……ねえ?