やつた 突然なんですが、今更ながら、ポケモンのアニメの主人公サトシの引退がじわじわと胸にきてまして……。
おおみ めっちゃ唐突な話題。今日は『御宿かわせみ』についてですよ、大丈夫ですか? ちゃんとそっち方面行けますか?
やつた 大丈夫です、行きます。2023年3月をもってサトシは引退しました。僕たちが小学生の頃からみていたキャラクターがついに表舞台から卒業すると思うと、なんだかノスタルジックです。
おおみ 今ざっとググってみたところ、26年くらい主人公をやってたらしいですね。サトシくんはずっと10歳のままで。
やつた 言わずと知れた『ポケットモンスター』というゲームが大人気になって、それのアニメ化だったんですが、よくいる王道主人公キャラだったから、色々なアニメをみていた幼い僕としては、他のアニメと同じように楽しんでみてましたね。
おおみ 私も放送開始時はみてましたよ。例のポリゴンショック回(※アニメ冒頭に「部屋を明るくしてはなれてみてください」という文言が追記されるきっかけとなった回)も普通にみていました。当時は我々もサトシくんより年下でした。ただ私、バトルに駆り出されているポケモンたちになぜか感情移入して、大泣きしちゃうんで、ドン引きした母親が途中からみせてくれなくなりました。
やつた なんでそんなことに……。
おおみ 人間のために、主義主張のない別の生物たちが命をかけて戦うというのが悲しくて……。あれって、ある種洗脳じゃないですか。意見があるなら自分で戦えよ、他人(ポケモン)を利用するなよって。意見など関係なく、ただ人間の娯楽のために動物が戦う闘鶏や競馬などのほうがまだ理解ができる。私がポケモンの世界にいたら、ポケモンバトル反対活動家(穏健派)になっていたと思います。ただ、一部のポケモンは、現代の馬や牛のように、人間に行使されることで、繁殖が容易になり、種としての存続を約束されているのかなって……。
やつた おおみさん、落ち着いて! 今日は『御宿かわせみ』がテーマですよ!
おおみ ……はっ。今日もうポケモン回にします?
やつた しません。枕の邪魔をしないでください。
おおみ えーっ、やつたさんが振ってきた話題なのに……。
やつた とにかくですね、ポケモンのアニメに限らず、主人公のキャラクターって、「個性」よりも、物語を進めるための設定が大切じゃないですか。サトシで言うなら「ポケモンマスターを目指す、初心者トレーナーの元気な少年」という設定がある。元気な少年だから、無茶をしても成立させやすいし、物語を進める力がある。
おおみ サトシの元気さは、一部でも話題になってますね。スーパーマサラ人でしたっけ。
やつた そういった主人公の設定が物語を牽引していると思うんです。でも一方で、タケシやロケット団のほうが「個性的」。
おおみ なるほど。たしかに、脇役のほうが個性的かも。ロケット団のニャースは、自分の意思で行動を起こしているので、とても好きでした。あのニャースも、かなり個性的でしたね。
やつた ほら、キャラクターの設定と個性の観点から、だんだん『かわせみ』に近づいてきた感じしませんか?
おおみ それで今回『御宿かわせみ』を取り上げた理由なんですが。あ、まず、今回の本の選定は私でした。
やつた はい、そうでしたね。でもそういえば、理由は聞いていませんでしたね。
おおみ 数か月前、インドに行っていたんです。
やつた あれ? またしても大いなる脱線の予感。帰ってきます? それ、『かわせみ』に帰ってきます?
おおみ 帰ってきます、帰ってきています。一般家庭の水道普及率が半分にも満たないインドの片田舎から日本に帰ってきて、空港から電車に乗って、自宅最寄駅で降りて、改札を出たら、目の前のモニターに、平岩弓枝さんの訃報が出ていたんです。
やつた やってましたね。6月でしたか。
おおみ 駅に着いて、日本のニュースが流れているのをみて「あ、そうそう日本に帰ってきたんだった」という感覚を覚えました。それと同時に、『御宿かわせみシリーズ』を昔ちらほら拾い読みしたことを思い出して、面白かったなーって。それで、せっかくだからもう一度触れたいと思ったんです。
やつた なるほど、それで今回は平岩弓枝さんの『御宿かわせみシリーズ』を取り上げたいと。
おおみ そうなんです。脱線してないでしょ?
やつた 完璧じゃないですか、失礼しました。実は、僕は時代小説自体をあまり読まないので『御宿かわせみシリーズ』は今回初めて読みました。
おおみ シリーズとしてかなり長いものなので、全部読もうとすると大変ですね。今回は、初めて読むやつたさんも触れやすいように『御宿かわせみ傑作選1 初春の客』を選んでみました。
やつた 読みやすかったですね。数ある作品の中で、この傑作選には7作品収録されています。
おおみ さて、『御宿かわせみ』の概要です。時は江戸時代末期、町奉行所定廻り同心だった父を亡くした庄司るいは、江戸大川端町に旅籠「かわせみ」を開きます。るいの恋人・神林東吾は、町奉行所与力・通之進の弟で、日々ふらふらしており、暇つぶしのように、友人で八丁堀の定廻り同心の畝源三郎や、将軍家御典医の倅の医師・天野宗太郎、「かわせみ」の奉公人とともに巷で起こる事件に首を突っ込む。
やつた 事件の活劇と並行して、身分違いを気にするるいと東吾のなかなか進展しない恋愛模様が描かれているのもポイントですね。
おおみ 東吾がちょいちょい、るいに「おれの子供産めよ」みたいな発言するんですが、たぶん、きゅんとしないといけないシーンなんだろうけど、私は「手に職つけてから言わんかい」とハラハラしていました。当時のお産は今よりもはるかに命懸けだったろうし、余計にハラハラします。
やつた えぇ……。
おおみ 私は、『御宿かわせみ傑作選1 初春の客』の登場人物でいえば、天野宗太郎推しです。昔チャラついてたけど実は賢かった、みたいなのがね、ね。ねえ?
やつた ……。『美男の医者』のエピソードですね。宗太郎が事件解決に、医者という立場を利用して、協力するんですよね。
おおみ 物語の序盤から、医者の存在がほのめかされていたので、最初は盗みを働いた番頭というのがその医者というオチかなと疑ってたけど、違いました(笑)。この小説、味方キャラはみんな美男美女で、悪いことする人はみんな見た目描写がアレなんですよ(笑)。宗太郎は味方のキャラだから美男子。
やつた でも東吾の親友の源三郎は、特に美男子という描写はなかったと思いますよ。真面目でおもしろ味はないけど、そこがいい味を出したと思います。八丁堀の定廻り同心という立場から、物語の進行にも一役買うんですよ。源三郎の動きや仕入れてきた情報で事件が大きく動く場面もありましたね。
おおみ やつたさんは源三郎推しなんでしたっけ。
やつた 主人公の相棒的なキャラが好きなんです。ルパン三世の次元とか、ホームズのワトソンとか、いいポジションの脇役っていいなぁって思うんですよ。そんな源三郎も、作中で祝言をあげるお話がありましたね。タイトルそのまま『源三郎祝言』。こういう相棒キャラは、作中でも大きく取り上げられるから素敵です。
おおみ 主人公の隣のキャラって、主人公カップルに横恋慕したりとか、恋愛がうまくいかないケースもよく見かけますが、源三郎さんはちゃんとハッピーエンドでしたね。
やつた この短編集だけ読むと、いきなりこの小話の中で、源三郎がずっと好きだったという女性が初登場し、なんというご都合主義なんだ、とは思うけど、たぶん時代小説ファンにはそれで受け入れられるくらい『御宿かわせみ』が人気だったんだろうな、と思う。
おおみ そうですね、伏線伏線って声高に言いすぎてる現代の感覚からすると、源三郎くらいレギュラーキャストなら、好きな女の伏線描写くらい前もってあってもいい……と思わなくはないですが、昔の作品って、そういうのまるっきりないものも多いですからね。それでいいんだよなぁエンタメ、って。
やつた エンタメと言えば、短編集のタイトルにもなっている『初春の客』はエンタメ要素が大きかったですね。
おおみ でも私、『初春の客』は若干せわしなくて、時系列を整理するのにページを行ったり来たりでした。ミステリ脳が欠けているのか、元々あまり他人のことを気にしない性分のせいか、誰がどこでなにをしていたか、まったく覚えられなくてですね。
やつた 鎖国中の日本という情勢から、その裏で外国人奴隷や混血の女性を使って暗躍している大商人がいて、幕府に取り入って甘い汁をすすろうと目論んでいるという、なかなか大きい事件に東吾や源三郎が巻き込まれていく。ちょっとその辺の説明が壮大でしたね。しかし、壮大であるがゆえに、黒人奴隷と、白人と日本の混血女性が、その陰謀の中で愛し合っているという、これまた東吾とるいにも重ねられる状況も盛り込めて、レギュラーメンバーに対しても、スポットが当たります。そして色々な思惑が動いている中、物語が進行するという構図もおもしろかったですね。
おおみ 話が壮大だから、私個人的には、もうちょっとボリュームも欲しかったし、ゆっくりペースで走ってほしかったです。ラストも、もっとねっとり異人二人の愛を描写できていれば、あの唐突な最期もより映えた気がしますね。まあそこは、連載のページ指定の事情などがあったのでしょう。ちなみに、あのラストは、私はとても好きでした。
やつた 僕も好きです。陰謀に巻き込まれつつも、二人だけの最期を選ぶ、異国の二人の姿は、作中で描かれる人情と通じるものがあって、異国の二人にそれをやらせるのがニクいですよね。他のはエピソードは『初春の客』ほど幕府をまきこんだ巻き込んだ大きな事件なんかではなくて、江戸の町で起こっている事件が中心ですね。登場人物たちの身の回りというか。それこそ人情ものになっていきますね。
おおみ 『江戸の子守唄』は、江戸の事件のお話でもあったし、人情にも触れていたように思いますね。御宿かわせみに取り残された幼子をるいが大事にしている姿なんかは、完全に東吾への当てつけ……かどうか。まあ、るい本人の意図はともかく、東吾は完全に拗ねてしまっています。
やつた このエピソードでは、東吾の見合いの話も進みますから、るいも気が気じゃなかったのかも……。
おおみ そんな2人の様子と並行して、幼子を残して行方をくらました両親の真相に迫る話も進むんですよね。
やつた 源さんがまた情報を探ってくるんですよ。
おおみ 東吾に比べると、源さんむちゃくちゃ働いてますよね……定廻り同心がいかに大変な仕事かっていうのは、作中でもたびたび描写されていますけども。こう、主人公を若いイケメンに保ちつつ、よく働く部下もいる状況って、ファンタジー以外の世界観だとなかなか難しいですよね。
やつた 源さんの役割は、作中におけるエンタメ要素の進行役になることが多いですよね。事件の情報を、作中で提示するのはたいてい源さんだったと思います。細かいことを言うと、東吾には、事件に関わるという物語の大筋以外にも、るいとの関係を進展させるという仕事もあるんです。東吾にその両方の進行をさせるのは、かなり難しいと思うんですよ。そこで、東吾が事件に対して動かなくても、源さんが情報を持ってきてくれるという仕組みになっている気がしますね。
おおみ そういう役割分担みたいなのがあると、読者にとっても作者にとっても回ごとの情報の整理も楽ですし、安心して読めますよね。
やつた お決まりのパターンに、知った顔のキャラクターたちが物語を進めるという点に、読者は作品世界を受け入れやすくなる。大衆文芸の”大衆”という所以は、読者に共通の大きな世界観を作り出すことのような気がしますね。
おおみ 事件の内容の整理がし易いと、東吾とるいの関係や想いを味わう余韻も、読者に生まれますしね。……でも、それでもわたしは、源さんが集めた情報なのに、いっつも東吾が最後においしいところをかっさらってめでたしめでたし、みたいなの、源さんに「半分くらいあんたの手柄やで!」って言いたくはなりますね。
やつた 描かれてないですけど、事件の後処理は源さんがしてる可能性が高いから、仕事的には源さんの功績になってるんじゃないですか、わかんないですけど(笑)。
おおみ だとすると、源さんはうまいこと暇な東吾を操作している可能性すらありますね、知らんけど(笑)。
やつた 源さんは、普段から東吾の道楽や恋模様に振り回されたりしているので、それくらい許してあげましょう。
おおみ ……やつたさん、東吾のこと嫌いなんですか?
やつた おおみさんとは違いますんで、僕は嫌いじゃないですよ! むしろ居候生活はのんびりで、それはそれで羨ましい! しかも絶世の美女が彼女!
おおみ ……ほげぇ。
やつた そんな絶世の美女と居候の恋路は、当時としてはなかなか受け入れられないものです。そこも、読者が惹かれるポイントなんでしょう。
おおみ いや別に、美女と居候だから受け入れられないわけじゃないでしょ、いろいろあっての身分違いだからでしょ(笑)。まあでも、なんだかもう中途半端な状態の二人がデフォルトになっちゃって、落ち着いている感じはありますね。
やつた 『虫の音』のエピローグ部分なんか、まさにそうですよね。
おおみ 東吾が得意気に鈴虫を持って、るいの所に来たのに、よく周りで鳴いていると言われてしまう。
やつた それが発端で、誰と聞いたんだと詰め寄られ、東吾も誤魔化すから、ちょっぴり喧嘩になる。微笑ましいぞぉおいおい、なシーンです。
おおみ まあ文字で読むと微笑ましいですが、東吾は絶対、一度テレビに没頭しちゃうと、ちょっと話しかけても聞いてない、というか聞こえてないタイプの人ですよ。
やつた 東吾にも、その時たまたま考えごとしてたとか、色々事情があるんですよ。たぶん、きっと……。
おおみ やつたさん、なんでそんなムキになって東吾のフォローしてるんですか?
やつた いやいや気のせいです。
おおみ 『虫の音』は全体的に、まぁ当然なんですけど、およそ二百年前の男女の考え方が色濃く反映されていて、別にあんまりジェンダー論を普段意識しない私ですら、十六歳の弟に「姉は気が強いので、歳の離れた人の方がよろしいかと」と言われる時代か……と白目を剥きました。フィクションではありますが、女が男に「青瓢箪!」って言ったら、”悪口を言ったこと”にではなくて、”男にそう言ったこと”を女が責められる時代。青瓢箪ってあれでしょ、今で言う、おたんこなす、みたいなものでしょう? いいじゃん、おたんこなすくらい。
やつた 青瓢箪とおたんこなす、意味が全然違いますよ。それに、おたんこなすも大概古いですよ。
おおみ なによ、おたんこなーす!
やつた ……。おおみさん、ぷよぷよ世代ですか。
おおみ ……。まあ、今回の『御宿かわせみ傑作選1 初春の客』からは逸れますが、『新・御宿かわせみ』シリーズでは、レギュラーキャラクターとして、かなり破天荒な少女も登場したりします。天野宗太郎の娘なのですが……。まあ、その娘が、明治という時代背景の割にはかなりモダナイズされているというか、ぶち抜けているので、かわせみシリーズを書いている間に、作者にもなにか思うところがあったのかもしれませんね。とはいえ私は、時代小説は時代小説らしく、その時代の考え方を反映できている小説が好きです。ちゃんと描写してくれてる小説に対して、「昔ってそうだったんだね」っていう感想を言いたいだけ(笑)。小説描写に対してケチをつけるつもりではないので、その点ご理解頂きたいです。
やつた もちろんその時代だから描かれることもあるんですが、現代に通じるものも反映できる点が魅力ですよね。『虫の音』には、教育ママに耐えきれず、刀を抜いてしまった少年が登場します。この部分も現代にありそうな話ですし、東吾もるいのために鈴虫をもらってくるわけですから、男女の想いも時代に関係なく描かれます。
おおみ 身分についてや名家に嫁ぐ話などは、やはり時代小説ならではのエッセンスですよね。
やつた それによって東吾とるいの関係も強調されるし、この時代設定エッセンスは、他のキャラクターにも転用することもできます。『白萩屋敷の月』は、東吾の兄の通之進の過去の話でした。この話も、その時代の女性を取り巻く状況を活かして、登場人物の心情に迫っていましたね。
おおみ 『白萩屋敷の月』、私は一番好きでした。純文学寄りで、受け入れやすかったというか、エロかった(笑)。ミステリ好きの人って、心情描写こってりめを嫌う人も多いから、これがウケたのかどうかわからないのですが、でも傑作選に入ってるくらいだからウケたんでしょう。「代わりに煩悩に火がついた」の描写はざっくりしすぎてて笑いましたが。端的にもほどがある。
やつた 傑作選の一つ目なので、キャラクターそれぞれの掘り下げというか、通之進の過去エピソードという観点から収録されたのかもしれませんね。家と家との関係によって、通之進に想いを伝えられないまま、独り身になってしまった女性が登場します。この話は事件や東吾とるいの関係よりも、おおみさんの言うように登場人物の心情描写がかなり目立ちます。それはそれで読みごたえがありましたね。
おおみ 想いを遂げたら死ぬキャラクターっていいですよね……。残されたキャラクターたちにとっては悲しいはずの死が、読者には前向きに受け入れられる。物語に独特の風味を添えます。
やつた 想いを遂げるというよりも、もう長くない自分を悟っていたんでしょうね。そんな中だから、通之進との思い出がより鮮明になったんでしょう。この話は、それ以外の活劇的なお話と比べると、番外エピソードですよね。キャラクター自身に迫ることで、各種設定、想いや時代背景などに読者をフォーカスさせます。
おおみ そうですね、読者としてゆっくりと物語の設定に馴染んでいけたのも、私にとっては良かったのかもしれません。これは私の個人的な感覚かもしれませんが、「いきなりファンタジー(あるいはSFとか)100%!」みたいな勢いでこられるのが、実は少し苦手です。背景として頭で理解はしても、深層心理で置いていかれている感じがあるというか。物語の導入部分の離陸はゆっくりめでお願いしたいです。
やつた キャラクター同士の関係性は丁寧に書かれていましたね。読んでいくうちに、作中の世界に馴染んできます。さらに各エピソードでキャラクターを深堀してくれると、物語の世界の中でのキャラクターにも親近感がわきますよね。
おおみ 『岸和田の姫』はまさにそんな作品世界を俯瞰したエピソードだったと思います。ええ話でしたねえ……。序盤はるいがあんまり登場しないんだけど、ちょっと世間知らずな深窓の少女・花姫がヒロインで、いい感じに大人たちを振り回します。私は、人間としても同性としても優秀なるいよりも、花姫くらいの方が親近感が持てました。
やつた 主人公たちの身の回りについて、再確認させるエピソードですよね。町を知らない姫に、町の様子をみせてやろうという人情、姫の目線が読者と重なる部分があって、改めてと東吾たちが暮らしている街の姿を鮮明に印象付けます。
おおみ 鯉って美味しいんですかね……。ちょっと泥臭そう。
やつた 生き血を飲むと精力がつく、と作中にありますが……。
おおみ 川魚の生き血、絶対美味しくはないでしょう、飲んだことないけど。精力って、要するにタンパク質のことじゃないんですか。安価な寿司屋がたくさんある時代に生まれてよかった。
やつた ストーリーとは異なりますが、美人のるいに握ってもらったら、泥臭さもさわやかに感じたりするのかもしれませんね……。
おおみ るい、寿司も握れるんですか。知り合いのかわせみシリーズ好きの男性が「るい、かわいいよね」と言っていたのを思い出しました。男の人はみんなるいが好きですね。そんな女は世界のどこにも存在しませんよ、って言ってしまいました。まあ、そんな私は天野宗太郎が好きですけどね。そんな男は存在しませんね。
やつた ヒロインやヒーローは、夢を添えるのが仕事なんですよ、きっと。
おおみ なるほどね、どおりでフィクションにしかいないわけだ。
やつた まぁ、そんなキャラクターたちにも作品世界にはちゃんと居場所があって、生活を送っているんです。このエピソードが、短編集の最後に収録されていることで、この短編集を通して作られた作品世界に余韻が残る気がします。各々がこれからも作中の町で日常を送っていくんだ、ということが示唆されますね。
おおみ 余韻といえば、時代小説って、現代に生きる我々からするとまるっきりファンタジーで、だのに日本人が近現代で失ったものに対するノスタルジーが含まれていて、ほんのり寂しいんですよね。私は、それが時代小説の醍醐味だと感じています。この寂しさを、ストーリーと絡めてどれだけ共鳴させるか、が作者に問われるのが時代小説だと思います。個人的にはコテコテに共鳴させてくれているのが好きですね。やりすぎってくらいクサくていいと思います。
やつた 冒頭の「キャラクターの設定と個性」についての話に戻ってくるんですが、登場キャラたちの設定がしっかりしていると、ストーリーを牽引してくれると思うんです。個性ではなくて、設定。ノスタルジーとの共鳴って、この設定がカギになっているんじゃないですかね。
おおみ え、でも、サトシが元気な男の子、って、ノスタルジーあります? 今となってはあるのかな……。
やつた サトシが引退するとなって、出てきましたね。ノスタルジー。
おおみ 設定云々関係なくな……あーっモゴモゴ。
やつた でも、るいは気立てのいい和風美人、って言ったら、なんかノスタルジーあるじゃないですか。
おおみ 和風美人、って単語によるところは大きい気がしますが。
やつた 元気な少年も、現代においてはノスタルジーな気もしますよ。
おおみ まあとにかく、たしかにやつたさんの仰るように、長く続く作品って、そういう共通概念のようなキャラクターや世界観、平たく言っちゃうと、「気立てのいい美人がヒロインで」って言えばるいのことを知らない人も「あぁはいはい」ってなるような、定番化された概念がありますね。
やつた だからこそ、受け入れやすいんですよね。受け入れられたことで、さらに読者の中でも世界が広がります。大衆に根付くってきっとそういう仕組みなんだと思うんです。ノスタルジーを感じるか感じないかは読者の感覚だから、まずは大衆の中にある共通の感覚を呼び起こすほうが先というか。
おおみ なるほど、共通の感覚に通じる物語や設定で、それを誘発するみたいな。
やつた そうです。それによって作品世界は、読者・大衆の中でまた広がっていくんですね。今回、江戸大川端の様子を楽しく読むことができてよかったです。現代に通じるものが描かれているなと、改めて時代小説の醍醐味を感じましたね。
おおみ 素敵な名作シリーズを紹介できてよかったです。平岩先生、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。